“The 90s in my mind” 2012年に知人のZINEに寄稿の90年代音楽生活駄文を2021年に読み返す Episode 1. of ?

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コロナ禍で世界的に大変な状況ではありますが、自身が今から9年前の2012年に知人から彼の出すZINE(ジン)に「私の中の ザ・90s」ってお題で何か書いて欲しいとの依頼を受けて書いた今読み返すと稚拙過ぎて恥ずかしくなる駄文がiCloudのメモ内に削除せず残ってたのをたまたま発見したので、読みたいと思う人なんていなさそうですが、地方の県庁所在地でもないさらに田舎に198X年に生まれ今の様なネットも検索なんかもできない90年代を過ごした当時のありふれたティーンエイジャーの一人の記録だと思って読んでいただけるとありがたいです。

以下記事全文(プライバシーに配慮しオリジナルから一部修正済み)

「私の中の ザ・90s」

198X年生まれの自分は 90年代にX歳で突入。 小6の時は音楽に無頓着で学校でみんなと『チャゲアス』や『虎舞竜』を歌わせられていた。

音楽を自分で選んで聴く様になった中学時代前半は友人の影響で『布袋寅泰』と『奥田民生』のJ-ROCKを聴いていたが、洋楽に興味が行く様になったときにちょうど『スキャットマンジョン』、『ジャミロクワイ』を知り、初めて買ったCDは『スチャダラパー』だった。

クラブカルチャーの存在を知り憧れるものの田舎でクラブなど無く、テクノ、ハウスに衝撃を受けてメジャーどころの『ケン・イシイ』、『テイ・トウワ』のCDを買ってヘビーローテーションな日々。友人から『ケミカルブラザーズ』や『アンダーワールド』を借りてMDウォークマンでいつも聴いていたそんな90年代。

あとタマゴッチとハイテクスニーカーもあったよね。 1999年に恐怖の大王が空から降って来なかったのにはがっかりだったけど 、学生になってインターネットにつながって音楽の世界が広がった辺りでサヨナラ90s。

そんな僕のthe 90s は『電気GROOVE』の『Shangri-La』テクノがあれだけPOPSに近づいたのはあんまりなかった気がする。

ZINE内の知人の考案した企画名が「私の中の ザ・90s」とTheがカタカナ表記だったり私の執筆した文章のアーティスト名がカタカナ日本語なのは想定する購読層に当時配慮して敢えて英字表記を全てカタカナ表記で書く様に修正依頼があり書き直したものです。
紙媒体時の「私の中の ザ・90s」だと英日混合過ぎてアレだなぁと感じたんでこの記事のタイトル内では “The 90s in my mind” という英文の方に戻しました。
自身が2021年に開設の当サイトの最初のblog投稿がこんなにもプライベートな記事になるとは思っていませんでした。

この投稿を Episode 1. of ? にしたのは、日本の田舎で90年代に10代を当時過ごした現在の中年の一人がどう音楽に触れていたのかを、この投稿をタイプしながら詳細を続きで書きたくなったからです。

というわけで不定期で続くかもで…
To be continued.

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